前編はメキシコ、
グアテマラ~ニカラグアのダイジェスト
後編のBGM
コスタリカ Costarica
ニカラグアからコスタリカに入国。
この国のほとんどは
国立公園となっていて
動物などのウォッチングが人気である。
ジャングルの中を歩いていくと
お友達を発見。
このサル達は本当にいたずら好きで
旅行者のバックをひったくっては
高い木に登っていく。
日光のサルとタイマンはらせたら
いい勝負すると思う。
パナマ Panama
中米の最終国 パナマにやってきた。
他の中米諸国に比べると、
経済情勢がいいと聞いた。
パナマ運河が
アメリカから返還された事により
船の通関料などが
経済を潤わせているらしい。
とはいえど
スラム街の近くで
タバコを吸っていた時、
と言ってきたオバさんに
やだ
と答えたら
ムキーッ⁉
胸ポケットの金をむしり取られ
怒りながらスラム街の奥に
消えて行ってしまった。
真っ昼間、
オバさんにカツアゲされるとは …
恐ろピー
さて
パナマからコロンビアに渡る際、
通常は飛行機か船で行く。
陸路でも行けるが、
高確率でゲリラに襲われる。
Why?
世界で売られているコカインの80%が
コロンビア産で
密輸を阻止するため
アメリカ軍が国境警備を強化。
それが面白くないゲリラは
旅行者を拉致して
軍の撤退に交渉するのだ。
んな事に巻き込まれたくない!
だから
みんな安全安心に
飛行機か船で行くのである。
しかし、
時は年末で
飛行機や船は予約でいっぱい
約2週間待ちという事が突然発覚。
年内には
南米入りする予定だったから
どーしよう
パナマシティ(首都)の
ゲストハウスで悩んでいたら
私は 行く方法を知っている。
怪しいドイツ人のおじさん
が現れた。
彼の名前は アルフレッド
あだ名: アレックス
定年退職後
旅をしているアル中のおじさん。
話を聞いてみると
パナマのコロンという
国境に近い港町から
民間船にのって
コロンビアに行ける可能性がある
というのだ。
酔っ払いだけど、
悪い人ではなさそうだし
コロンビアに詳しい。
一緒に行きましょう。
次の日、
さっそく僕たちは
コロン行きのバスに乗りこんだ。
コロン Colon
バスの中は
混みあっていたので
アレックスと僕は離れたシートに座った。
しばらくして、
パスの後方が騒がしいなと
振り返ってみると
酔っぱらったアレックスと
クマみたいなラスタマン が
酒盛りをしていた。
ラスタマンの名前は
ベト
以前は街のギャングだったが
今はストリートで
子供のおもちゃを売っている。
コロンという港町は
パナマでも治安が悪い場所らしく
昼間でもメインストリートを離れれば
なんでもありだそう。
念の為、
ベトの知り合いの安宿に泊まることにした。
コロンに到着後、僕たちはさっそく
バーや港にくりだして情報を集め出す。
が、
そんな簡単には見つからない。
どこに聞いても、ダメなので
気長に探す事になった。
数日が経ち ・・・
もう無理だと諦めかけていた
その時
アレックスが笑顔で帰ってきた。
船見つかったぞ!
ウソ!?
さすがは
ジャーマンヒッピー
夜中に出航するらしく
僕たちは荷物をまとめ、宿をチェックアウトして
港へと急いだ。
港には船が何隻か停泊していて
どの船かと尋ねると
あの船
どれ? あの青いヤツ?
違う違う あれ
アレックスが指さした先にあったのは
大型船達の間に隠れていた
オンボロ木造船。
!?
不安と恐怖しかない船だった。
イミグレーション(税関)通るの?
Si (もちろん)
運賃は?
100ドル
安いけど
これはさすがに …
荷物だけ盗られて
海に沈められるかもしれない。
でも
年内にコロンビアに入る方法は
これだけだ。
アレックスも
たぶん大丈夫だと言っている。
出航まで数時間あるので
しばらく本気で悩み …
その結果、
僕は 家族にメールを1本送って
船に乗り込んだ。
レッツラゴー
船の中をよく見ると
何やら大量の荷物を積んでいる。
さらに船員ではない人が
10人ぐらい 甲板にいた。
どうみても
明らかに重量オーバーである。
本当に大丈夫か?
そんな心配をしているうちに
出航の時がきた。
船のエンジンがかかり
ゆっくりと進みだす。
乗員達は ソワソワ している。
なんでー?
っていうか 出国のハンコは?
…
… ないな
このバカチンがー!
こうして
僕たちの船旅が始まった。
オンボロ船は
全速力で進んでいるみたいだが
めちゃくちゃ遅い。
そんでもって
揺れまくるので
出航後、すぐにゲロをはいた。
僕たち含む、乗員10 数名は
甲板にざこ寝して
その上にブルーシートが
かかっている。
船員はコロンビア人なのに
船にはパナマの旗がたっていた。
食事は船員が作ってくれるが
毎回、
フライドバナナと適当なオカズ。
お腹が空いて食べたくても
船酔いでなかなか食べられない。
食っては吐いてを繰り返す。
トイレは船の一番後ろ
甲板の一部がくり抜かれいて
その穴の周り4方を板で囲んである。
まさに海のボットン便所で
落ちたら誰にも気づかれない。
はげしく揺れる中で、
4方の壁にへばりつきながら
立ちぐそ。
こんな必死に
クソをした事はなかった
サンドブラスト諸島 Sand Blast Islands
カリブ海の水は
見事なクリアブルー。
その景色がいささか
船酔いの気持ち悪さをしずめてくれる。
就航してから2日後
離れ小島にヤシの木 1本みたいな
景色が現れ始めたと思ったら
サンドブラスト諸島に到着した。
ここに
スペインの植民地占領から
生き延びた先住民のクナ族がいる。
少しの間、
島で休憩する事になった。
小さい子供達は
魚のように泳いでいる。
売店に
缶ジュースを買いにいったら
ぬるっ
この島には電気がない。
今もなお
彼らの文化で暮らしていたのだ。
色々と歩きまわりたかったけど
まだ先は長いので
揺れがない陸地でゆっくり休んだ。
夕方になると
島人はタイマツに火をつけはじめ
僕たちは船に戻って
近くの沖で停泊することにした。
その夜は満月。
灯が何もない海の上。
まるで 太陽のように
月はまぶしく
こんなに明るいのか
と驚いた。
船にあたる さざ波の音が
景色をいろどり
僕とアレックスは月見で一杯。
ラム酒を べろんべろん になるまで
飲み明かした。
次の日、
黄色い胃液を吐き続けたのは
言うまでもない。
コロンビア Colombia
出航してから
4日ぐらい経っただろうか
僕は船の甲板であおむけになり
夕暮れの空に流れる星を
ゲッソリと眺めていた。
もう無理 …
すると
着いたぞー!
助かった…
けど
なぜか
コロンビアの離島に到着した。
カルタヘナ(本土)に
行く約束じゃないか!
Que? (何のこと?)
アレックスは船長と
しばらくやりあっていたが
どーにもならない。
フタを開けてみると
この船は
島の生活物資をパナマから
こっそり輸送する船だった。
コロンビアでは島に必要な物資が
手に入らないとか。
なんとか。
どーでもいい
コソコソしていた乗員達は
パナマへ出稼ぎのコロンビア人。
この国では仕事もなく
給料が安いから
経済状況が良い パナマにみんな行く。
滞在期間の期限を過ぎると
ペナルティがあるので
こういう船に便乗して帰国するのだ。
でも僕とアレックスは
外国人であり
帰国ではなく
単なる
密入国にすぎない。
どーすんの?
とりあえず 本土(カルタヘナ)まで行くか!
この島に民間の船はつかないので
交通手段は
個人のモーターボートだけ。
翌日、
いくら?
100ドル
他に選択肢なし。
こうして僕たちは
橋渡しみたいな高速ボートで
カルタヘナのはずれ (本土) に無事到着。
みんな
抱き合って喜んだ。
そして
残念ながら
旅の話は ここでお終い。
まとめ
結局、
首都のボコタにある移民局へ行って
罰金を払ったあと
アレックスと はぐれてしまい
連絡先を失った。
メデジンという町では
自分の不注意ではあるが
睡眠薬を飲まされて おいはぎに会った。
なんだかんだ言って
コロンビアからは南下出来ず
パナマ~メキシコへ戻り
しばらく生活する事になる。
ブラジルでサンバは叶わなかった。
友達や日本の母に心配させて
さんざん迷惑かけた。
申し訳ございません。
けど、
この旅で経験した事は
本当に価値があったと思う。
この旅がなければ
僕もまた旅がしたいとは
思わなかったかもしれない。
世界は
自分が思うより はるかに広くて
美しかった。
そして
生きてる感覚が たしかにあった。
ちなみに
今も生きてれば アレックスは
もういいおじいちゃんになっている。
とはいえど あの時だって
60歳は越えていたから
すごい行動力だ。
今頃どうしているんだろう。
パナマの船旅は つらかったけど
最高に楽しかった。
この先
いくら歳を重ねても
リスクを恐れず
何でもチャレンジできて
人を喜ばせる旅人に
いつか
僕もなりたい。
お終い
1本ちょーだい