A Piece of Latin America(ラテンアメリカの旅 前編)

a piece of latin america

時は 2001年

ノースカロライナ州に住んでいた時

NYのテロ 9.11 が起きた。

テレビで映画を見ているようで

それは恐ろしい現実だった。

ワールドトレードセンター跡

数年後

外国人労働ビザの発行に規制がかかり

その枠に入れなかった為

僕は 国を出るハメにあう。

あの時、

日本に帰れば良かったのかもしれない。

けど

僕は南米を目指す事にした。

キッカケになったのは

以前、ドミニカ共和国に行った時のこと。

そこでは

ストリートキッズを目の当たりにし

街全体とつぜん停電したかと思えば

交差点でつぎつぎに車が衝突。

いつ電気が復旧するかも分からず

早ければ30分、おそい時は1週間

パニックや暴動が起きる訳でもなく

現地の人に言わせれば

ドミニカン

こんなのふつー

びっくりだった。

それでも陽気に暮らす人々の

ラテン文化に興味を持った。

一度帰国したら、

なかなか動けなくなるだろうし

この際、せっかくだから

南米に行ってみよう。

そして

ブラジルのカーニバルで

号泣しながらサンバを踊ろう。

僕は会社を辞めて、アパートを引き払い

Nissan ピックアップトラックに

荷物をつんで出発した。

途中

ルイジアナ州でスケボーを少年にくれてやり

テキサス州でトラックを売り飛ばし

持ちきれない物は

施設や教会に寄付をした。

テキサス州からはバスに乗り

メキシコと境の川を越える。

橋に飾られているたくさんの十字架は

密入国者が失敗したあとの供え物。

国境を超えた瞬間、

バス内の会話が英語からスペイン語に

変わったのを覚えている。

メキシコ Mexico

メキシコは音楽が美しい。

何を言っているのか

サッパリわからないけど

ランチェラ (Ranchera) と呼ばれる

演歌みたいな曲の音色が

心地よい。

そして、タコスの屋台で

初めてのスペイン語を覚えた。

キャピTARO

tengo ambre (お腹空いた

とうもろこしのトルティーヤに

サルサ、ライム、シラントロ(パクチー)で

味付けされたタコスは癖になる。

mexican tacos

一度、食中毒にかかり

上から下まで大変な事になったけど

それでもまた食べたくなるのだ。

ビバ!ビバ!ビバ!ビバ!

グアテマラ Guatemala

メキシコからグアテマラには陸路で入国。

山間部のイミグレーションを通る際、

グアテマラ側に止まっているオンボロ車に

税関

絶対に乗ってはダメよ

と 入国スタンプをパスポートに押しながら

税関のおばちゃんが教えてくれる。

外に出ると、案の定

うさんくさい男たちが

乗れ乗れ 言ってきたけど

あの車は ラテン地獄 直行便 に違いない。

2時間程待って

路線バスに乗った。

サン・アンティグア San Antigua

San Antigua

サンアンティグアという

スペイン語を勉強するための町があり

語学学校で少しスペイン語を習得。

最低限の意思表示ができるようになる。

右:学校の校長

人々の生活はメキシコと比べると

一気に貧しく感じた。

グアテマラ人の多くは

その昔、スペインに領土を占領された事を

今でも良く思ってはいない。

領土を占領する際、

反抗する先住民を殺しまくり

教会をたてまくって

強制に従わせた歴史を学ぶと

いろんな意味で複雑な気持ちになる。

エルサルバドル El Salvador

参照:カラパイア https://karapaia.com/archives/52139039.html

おっかないギャング達がいるエルサルバドルに

数日間

バスの乗り継ぎで滞在。

テレビのニュースで

背後から撃たれ、殺人強盗される事件が

多発していると報道あり。

外出中は、

とにかく後ろを見ながら歩いた。

ニカラグア Nicaragua

エルサルバドルから

高速バスでホンデュラスを通過して

ニカラグアに到着。

この国も貧しいが

危険な感じは少なく

何故か

落ち着いている場所が多い。

ある日、

路線バスから なんとなく降りて

人気のないビーチで

海を眺めていた時の事。

高校生ぐらいの少年が話しかけてきた。

少年

ベラベラベラ

キャピTARO

勉強したのに

何言ってるんだか分かんねー

持っていたスペイン語辞書を渡して

指差しコミュニケーションをはかってみるが

なぜか本を突き返してくる。

がんばって話してみると

どうやら

少年

一緒に遊ぼうよ

と言ってくれていた。

海でしばらく遊んだ後、

少年の家でランチを頂く事になり

海沿いにある

コンクリート建ての小さな家で

ライスとモツ煮みたいな料理を

ご馳走になった。

食後に周辺を案内してもらい

ビリヤードで遊んだり

お酒を飲んだりもした。

夕方ごろ出発しようとしたが

少年

まあ まあ

と言うので、お言葉に甘えて

夕食(ココナッツ丸ごと1つ)までいただき

庭のハンモックで

1晩泊めてもらえる事になった。

家のお庭

決して裕福とは言えない家庭だが

いたりつくせりの

おもてなし をしてくれた。

今までの経験上、

こういう場合はお金を払うと喜ばれる。

というより、

それが目的なのかもしれない。

キャピTARO

いくらぐらいがいいかな?

そういえば

周辺を案内してもらった時

近くに学校がなかった。

辞書でやりとりができないわけだ。

とか思いつつ

波の音を聞きながら

庭のハンモックで眠りについた。 

翌朝の出発時、

少年は

少年

何か思い出になるものが欲しい

と言ってきた。

さっそくお金を渡そうとすると

No No

キャピTARO

へ?

お金ではない?

その時、僕はナイキの帽子をかぶっていて

どうやらそれが欲しいみたいだった。

どこにでも売っている偽物で

300円ぐらいの帽子だ。

でも 僕は

小さい金の指輪を差し出した。

売ればいくらかになる。

それを受け取った少年は

ちっとも

喜んではいなかった。

キャピTARO

いつか困ったときの足しになるから

と言って聞かせたが

どーでも良さそうだった。

そんなこんなで

バスターミナルまで行くために

僕はタクシーを呼んで乗り込んだ。

少年は笑顔で手をふってくれていた。

image

とても暑かったので

クーラーが効いている車内は

涼しくて気持ちがいい。

バスターミナルに到着して

ビニール袋入りのジュースを購入している時、

帽子がないことに気がついた

あれ?

そういえば さっきタクシーで

エアコンが気持ちよくて

帽子を脱いで

そのまま … 置き忘れてしまった。

キャピTARO

え? え? 

こんなんだったら

あの少年にあげていれば良かった …

人生は皮肉である

正直なところ

僕が指輪をあげたのは

帽子が気に入っていたのと

指輪はもういらなかったから。

そして

どうせならお金になるものがいいと

決めつけていたからだ。

よく考えてみると

最初からお金を要求された事は

1度もなかったし

最後にこっちから出しても断られた。

お金はどーでもよかったのだ。

帽子がなくなってから、

その事に気がついた。

ひとりさみしく海を眺める僕に

少年は声をかけてくれて

言葉もろくに分からないのに

一緒に遊んでくれて

無料で食事、

宿泊までさせてくれたのに対し

どこでも買えるような帽子を手放さず

生活が貧しいからといって

自分ではつけない

少年もいらない ちっぽけな指輪を

お礼としてあげた事が

恥ずかしくなった。

お金がなくても

それ以外の大切な事を

あの少年は知っていたのだと思う。

そんな純粋でやさしい少年を

ガッカリさせてしまった。

なんであの時、

帽子をあげなかったのだろう?

少年の連絡先や住所は分からないし、

ナイキの帽子は二度と戻らない。

できればあの時に戻って

やり直したい。

でも 出来ない。

左:その少年

こうして 

僕をのせたバスは

次の目的地へと出発したのだった。

つづく

a piece of latin america
ジャパンキャンピングカーレンタルセンター