第二次世界大戦末期…
神風特別攻隊という名のもと
わずか17才の少年含む約1000人余りの青年が
零戦という飛行機に爆弾を積んで
アメリカの戦艦に突っこみました。
まだ たった
79年前の出来事です。
当時、
僕のおじいちゃんは
長野県上田市の予科練
という場所で
特攻隊になる訓練を
受けてましたが
さいわい
出撃前に終戦となったので
僕がガキの頃
よく戦争の話を聞きました。
特攻隊が出撃した場所は
いくつかありますが
その多くが知覧飛行場から
飛び立ちました。
戦後、
飛行場の跡地にできたのは
てっきり
海沿いにあるのかと思ったら
離陸がしやすい山の上にありました。
平和会館の中に入ると
日本の戦闘機ゼロ戦
が迎えてくれます。
出撃後、
エンジントラブルで
海に墜落した機体だそうです。
写真が撮れるのはここまでで
館内の奥にすすんでいくと
出撃した特攻隊達の遺書や遺留品が
数多く展示されています。
ストーリーも様々ですが
十代の少年達が母に送った
手紙が一番多いのです。
まだ子供なのに
なんかあれば
貴様!歯を食いしばれ!
と殴られるような
厳しい環境におかれたあげく
明日は特攻で出撃!
なんて言われたら
最後に思い浮かべるのは
母親しかいない。
または
二十代子持ちのお父さんから
幼い子供たちや奥さんに向けた手紙…
わかりやすく
カタカナで書くか…
一方で
部下達の戦死後、
操縦経験のない少尉が
特攻志願を却下されつづけたあげく
夫の意志を尊重した
奥様と子供が心中
その後、
軍から許可がおりて
夫は特攻で戦死など。
ただ、ただ 切ないストーリー。
最初、
絶対に泣かないぞ!
なんて思っていたけれど
しだいに涙があふれます。
青年達は
出撃が決まった後
三角兵舎という建物で
時間を過ごし
特攻する瞬間、
何をおもったのでしょうか。
まとめ
軍は当初、国民に
飛行兵はかっこいい
というイメージをたたきつけ
少年飛行兵を結成
まだ勝機はあるからと
戦後末期には特攻を命令。
結果、
約千機の特攻隊が出撃しましたが
特攻前、敵の戦闘機により墜落
または敵戦艦の
ハチの巣をつついたような
砲撃により墜落。
戦艦まで到達できたのはわずが数機で
敵の戦艦の沈没数はゼロ。
なんでもっと早く
白旗あげなかったんだ!
すまない
日本の将来の為にと
腹をくくって
死んでいった青年達の倍以上、
僕は既に生きている。
決して
君たちのことは忘れない。
つづく
俺が行ってたらお前はいない!