第二次世界大戦末期…
神風特別攻隊という名のもと
わずか17才の少年含む約1000人余りの青年が
零戦という飛行機に爆弾を積んで
アメリカの戦艦に突っこみました。
まだ79年前の出来事です。
当時、
僕のおじいちゃんは
長野県上田市の予科練
という場所で
特攻隊になる訓練を
受けておりましたが
さいわい
出撃前に終戦となったので
僕がガキの頃
よく戦争の話を聞きました。
特攻隊が出撃した場所は
いくつかありますが
その多くが知覧飛行場から
飛び立ちました。
戦後、
飛行場の跡地にできたのは
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てっきり
海沿いにあるのかと思ったら
離陸がしやすい山の上にありました。
平和会館の中に入ると
日本の戦闘機ゼロ戦
が迎えてくれます。
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出撃後、
エンジントラブルで
海に墜落した機体だそうです。
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写真が撮れるのはここまでで
館内の奥にすすんでいくと
出撃した特攻隊達の遺書や遺留品が
数多く展示されています。
ストーリーも様々ですが
十代の少年達が母に送った
手紙が一番多いのです。
まだ子供なのに
なんかあれば
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貴様!歯を食いしばれ!
と殴られるような
厳しい環境におかれたあげく
![](http://vagabundo.blog/wp-content/uploads/2022/11/img1.png)
明日は特攻で出撃!
なんて言われたら
最後に思い浮かべるのは
母親しかいない。
また
二十代子持ちのお父さんから
幼い子供たちや奥さんに向けた手紙…
わかりやすく
![](http://vagabundo.blog/wp-content/uploads/2021/09/daigo1-5.png)
カタカナで書くか…
一方で
部下達の戦死後、
操縦経験のない少尉が
特攻志願を却下されつづけたあげく
夫の意志を尊重した
奥様と子供が心中
その後、軍から許可がおりて
夫は特攻で戦死など。
ただ、ただ 切ないストーリー。
最初、
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絶対に泣かないぞ!
なんて思っていたけれど
しだいに涙があふれます。
青年達は
出撃が決まった後
三角兵舎という建物で
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時間を過ごし
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特攻する瞬間、
何をおもったのでしょうか。
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まとめ
軍は当初、国民に
飛行兵はかっこいい
というイメージをたたきつけ
少年飛行兵を結成
まだ勝機はあるからと
戦後末期には特攻を命令。
結果、
約千機の特攻隊が出撃しましたが
特攻前、敵の戦闘機により墜落
または敵戦艦の
ハチの巣をつついたような
砲撃により墜落。
戦艦まで到達できたのはわずが数機で
敵の戦艦の沈没数はゼロ。
なんでもっと早く
![](http://vagabundo.blog/wp-content/uploads/2021/09/skin6.png)
白旗あげなかったんだ!
日本の将来の為にと
腹をくくって
死んでいった青年達の倍以上、
僕は既に生きている。
決して
君たちのことは忘れない。
つづく
俺が行ってたらお前はいない!