五所川原市から
一旦青森市へ戻ります
弘前市のねぷたにも
行こうかと思いましたが
スケジュール的に
青森市の
未開拓地へせまります
グルメや温泉場所の他
天は我々を見放した
歴史上最悪な
集団遭難事故
八甲田山雪中行軍に

フォーカスしますた
Contents
合浦公園
まず
青森市滞在の
拠点になるのは
やっぱり
合浦公園
ゴミ捨てOKローソンの裏
何かと便利
だれかが
餌付けしてるのか
早朝、
人を見るなりスズメ達に
取り囲まれます

今回は新たに
合浦公園付近
おススメのグルメ、銭湯を発見
まずは
焼きそばの専門店
麵広

合浦公園から
車で約7分
珍しい
煮干し醤油焼きそば

煮干しの味が効いてて
チャーシュー付き

うみゃい
普通の焼きそばも
具だくさんで美味しそう
次に
発見したのは銭湯
長生湯

キレイだし
サウナ付き
番頭のおばちゃん達も親切
よく調べてみると
青森市内には多数の銭湯がある
こんなに
銭湯がある街も今時珍しい
旅人にとっては

ありがたい限りです
八甲田山雪中行軍遭難資料館
さあ
今回のメイン
歴史上最悪の集団遭難事故

市街地から
数キロの場所にあります
まず
出迎えてくれるのは
後藤伍長

眼を見開いたまま
仮死状態で発見された第一遭難者
応急処置の後、
部隊が全員遭難した事が明らかになり
本格的な救助活動が始まったのです
そもそも
事の発端を簡単に説明すると
時は明治時代
日露戦争の直前
ロシアが
青森に攻めてくる想定の中
八甲田山で行われた訓練でした
この雪中行軍隊は
2チームに分かれており
別ルートで進行
弘前歩兵第31連隊 37名 11泊
青森歩兵第5連隊 210名 1泊

それでも
急な悪天候の中
11泊の長距離ルートにも関わらず
弘前歩兵第31連隊は
全員無事に帰還しています

後の分析によると
弘前歩兵連隊は
青森県出身がほとんどで
雪山に慣れていた(装備万端)
プラス 各ルートにおいて
地元の案内人を雇っていた事
それに対し
青森歩兵連隊は
ほとんどが県外出身

1泊の温泉旅行気分で
無計画、案内人無、計装だった事
また指揮官同士の中で
統率がとれていなかった事
これらが原因とされています
当時の服装

藁やゴム製の長靴だった者は
なんとか凍傷を免れたが
皮靴で参加した者は早くに
凍傷で苦しんだと言います

また何日間も
マイナス20度の吹雪の中
凍傷でボタンすら外せず
そのまま糞尿したそうです
そうして
進む方向が完全に
分からなくなり
道中で連隊は解散
結局
210名の内 生還したのは17名
内6名は病院で死亡
残り11名のうち3名だけが五体満足
残り9名は両手指、膝から両足切断
という大参事となりました
五体満足で生還した者も
のちに日露戦争へ狩りだされて
戦死

資料館の裏には
彼らの墓地があり

ただ ただ
合掌するのみです
REST IN PEACE
まとめ
生存者の中に
最高責任者の1人
少佐がいましたが
入院中
凍傷した指で
引き金すら引けるはずがなく
発砲音もなかったのに
ピストルで自殺という名目で
変死してます
軍隊的には
責任を取ったつもりでしょうが
彼らの
ずさんな指揮下において
亡くなった者達には
納得いかないでしょう

安らかに…
つづく
今回はパス